サマリタン

映画、本、毛糸もろもろ。

例の物件。

久しぶりに近くを通りがかったところ、取り壊し途中にある
例の物件が、鮮やかに目に飛び込んだ。
鮮やかに青い空に、誰も住むことのないまま壊され、
半分、引き裂かれたように見える。
かかる費用も馬鹿にならないはずだが、
市としても、放置するわけにもいかないのだろう。
何しろ、この例の物件、市内に複数あり、テレビ出演も果たしているところである。
F市も、とんだとばっちりであろう。

厳しい話だが、購入者の補償まで、公費でまかなうのは
租税の原則に反している。
だが、隣接するマンションの住民はたまったものではない。
「自分もまた同じような被害に遭うかもしれない」
と思うのか、公費投入に対する反対は無いようだ。
これがマンションではなく、一戸建てであったら
欠陥にかかる費用は、買主が個人で負担していただろう。
違法、という言葉は重たく聞こえるが、
建築基準法違反の物件など、そう珍しくない。
不動産売買である場合、契約書に詳細が決められているはずだが、
建築中の物件は、工事完了と同時に引き渡すのだろうか。
だとすると、引渡しと同時に瑕疵担保責任は債権者(買主)かな?
まあ、この辺りの議論はプロにまかせよう。

ただ、世間は、政府の責任追及に傾いた。
管理者責任、監督者責任、そんな名のものとに、
誰かに責任を負わせようという雰囲気が優勢であった。
もちろん、マンションメーカーや建築士の不正は許せないし、
何かしらの処罰が必要であると思う。
それが、ヒステリックになっていないだろうか。
(あの社長は、わざわざ怒らせるような物言いをしている節があるが)
「官から民へ」という流れの中、様々なサービスが民営化されている。
民営であるということは、公共性は担保されない、ということである。
それが市場のルールというものだ。
企業にとって、「信頼」「誠実」は、商売上の必須要件であり、
最終目的は利潤であって、社会貢献ではない。
公共への奉仕ではない。
それこそ、お役所の仕事である。
だから、公平に負担するために、税金を使うのである。
税金を使うサービスは、公共性が最重要だからこそであり、
そこに経済性を求めること自体、お門違いである。
おっと、ついつい私怨が入ってしまった。

今日はここまでにしよう。

今日の一言
秋空に 赤いクレーンで 取り壊し