恐怖の源。
久しぶりに映画を観た。
と言っても、テレビを録画したものだが。
深夜放送だったのでCMは長いが、字幕だった。
個人的に吹き替えはあまり好きではない。
特にホラーやオカルトは、吹き替えはちょっと間抜けだと思う。
かつては、ビデオレンタルで週5本は観ていたが、
最近すっかりご無沙汰であったせいか、集中力が落ちた気がする。
途中で飽きてしまったので、二回に分けてみた。
観たのは、『ソウ』。
今度第3作目を公開する都合で、テレビ放映されたのだろう。
一言で言えば、低予算アイディア勝負だから、
よく観ると、ストーリーには矛盾というか穴も多い。
『スクリーム』や『キューブ』に似た雰囲気だが、怖い話だと思った。
ある日、気づいたら、拘束され、さらに死を予告されると言う設定が怖い。
脱出するためには、自分で自分を傷つけたり、
人を殺さなければならないという、条件がまた怖い。
自分で足を切ったり、生きた人の胃袋を開いたり。
死にたくない、という気持ちが怖い。
ところで、洋画邦画を問わず、猟奇事件の現場にはパターンがある。
地下室、下水道、屋上、貯水タンク、山小屋、荒野の廃屋、
閉鎖した地下鉄の駅、墓地、リゾート地の別荘などなど、
恐怖を駆り立てる条件とでも言うのか、
人気が少なくて、水の気配に囲まれた場所が多い。
水音や湿気が、感情を鋭くさせるのだろう。
また、逆に、病院のように異常なまでに、清潔で閉鎖的な場所というのも同様である。
疑いと恐怖が、あっという間に殺意に変わる。
子どもの頃に観た、怖い夢を思い出した。
一家惨殺される夢である。
子どもの頃、私は、押し込み強盗に襲われたらどうしようと、
かなり本気で怖がっていた。
家族全員で外出して夜遅くに家に帰り着いたとき、
もしも強盗が居たら、と想像しては怖がっていた。
何が怖いって、家族全員で襲われるのが怖かった。
子どもにしては生々しい。
人は、自分の命を守るために、
どこまで残酷になれるのか、
どこまで恥知らずなことができるのか、
誰もが、自分の中にケダモノを飼っているのだと、
見せつけられた気がした。
今日の一言
祟りより、幽霊より、生きている人間が一番怖い。