サマリタン

映画、本、毛糸もろもろ。

美しい景観とは何か。

昨日、一昨日と風邪で寝込んでしまった。
吐き気と寒気→熱で、二日間、動けなくなってしまった。
どうやら会社では、ノロかインフルエンザではないかと思われていた様子。

うつらうつらしながら、読んだ本。
五十嵐太郎『現代建築に関する16章』講談社現代新書(1867)、2006年

五十嵐太郎氏は建築史を専門とする建築家である。
彼の著書を読むのは、まだまだ2冊目だが、
読んでいる途中に、何度も、頭がよい人なのだなあ、と感銘を受けた。

第一に、文章が明快でわかりやすいこと。
この本の場合、語りを文章に起こしているため、
文体もですます調で、聞いているように読めるからかもしれないが、
やはりポイントを絞って、簡潔に説明、解釈しているところが、
建築の素人にも、分かりやすくなっているのだと思う。

第二に、文中及び巻末で、参照した文献を明記してあること。
元来の新書の役目である、専門への登竜門となっているとも言える。
文中で多くの先行研究や著名な建築家の言葉が紹介されるが、
どれもきちんと文献が明記されているのである。
文献一覧の作成は、編集の仕事の一部だと思うし、
当然付けてくれているものだろうけれど、
意外と一覧にまとめてくれている新書は少ないように感じる。
文中に埋め込まれているだけだと、後から探すのが面倒なのだ。

第三に、読後に、もう一歩先へ進みたいと思うこと。
昨日の今日で、五十嵐氏の著作を3冊借りてきた。
やる気満々である。

五十嵐氏は、昨今話題となった、日本橋の首都高撤去に対して
新聞紙上で、反対意見を明言した数少ない専門家でもある(はず)。
(本来は、よく確認してから書くべきだろうが、
一個人の感想なので勘弁していただきたい)
日本橋の景観保護については、
何が美しくて何が醜いのかは、誰が決めているのか、
結局、美観の名を借りた、箱モノ行政なのではないか、
首都高を撤去し、地下化したところで、日本橋の風景は美しくなるのか、
いつの時点の日本橋の景色が「正しい」姿なのか、
省みられることのないままに、事態が進行しているようでいて怖い。

景観の価値判断と行政については、今夜はもう遅いので続きはいずれ。。。

今日の一言
今年の風邪は腹から来るぞ。