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サマリタン

映画、本、毛糸もろもろ。

有能な人材とは。

20日の土曜日、新宿紀伊国屋へ。
本田由紀先生の講演会『人間力っていうな!』に行ってきた。
本田先生の語りは熱い。
理解を求め、怒り、憤っている。

ハイパーメリトクラシー化とは何か。
具体的な事例を挙げるとしたら、昨今の企業が求めている人材像が当てはまるのではないか。
流動的な労働市場で条件の良い仕事を得るのは難しい。
一方で、労働者が長時間労働を強いられていると言う。
有能な人材に仕事が集中し、超過勤務が常態化しているという。
では、どのような人物を有能と呼ぶのか?
それこそが、「人間力」がある人物を、有能と言うのではないか。

現代の日本で、製造現場で流れ作業を黙々とこなすだけと言う、正規雇用は考え難い。
アルバイトだろうか、パートだろうか、派遣だろうか、いわゆる正社員だろうか、
必ずや、交渉や折衝の場が生じ、周囲との調和が必要とされる。
逆に言えば、対人関係を上手に築けない人間は、行き場はない。
いわゆるコミュニケーション能力が必須条件となっているのである。

では、その能力は、いかにして測定されているのだろうか?
話を単純にするため、大学の新卒採用に限って考えてみると、
採用担当者は、どのような人であれば、コミュニケーション能力が優れていると思うのか。
私の経験で言えば、面接で適当な受け答えが出来るかどうか、
社風に合うかどうかを見ているのではないか、と思う。

話は簡潔明瞭であるべし (ふむふむ)
けれど、あまり滑らか過ぎてもいけない (初々しくね)
どもりやためらいがあってもかまわない (緊張してるのかな)
覚えてもらえる程度には、独創的で (偏差値高いだけじゃないぞ)
話が通じる程度には、常識的 (今時の若者にしては話がわかるね)
つまり、キミも仲間に入れてあげても良いよ、
と思ってもらえるよう、相手の気持ちを汲み取らねばならない。
そんなこと、どうしたら巧くできるのだろうか。
一言で言えば、相性が良ければ巧くいく。
だからこそ、就職活動で一つも内定を取れない学生は、
最後には、何を努力したら良いのかわからず絶望するのだ。

数値化できない能力というものは、確かにある。
偏差値やIQではなく、コミュニケーション能力や意欲と言われるものは確かにある。
でも、コミュニケーションは片一方の能力だけの問題ではない。
何故なら、相手があってこそのコミュニケーションであり、
たとえどれだけ豊かな表現力を持ったところで、
どれだけ聞く耳を持ってもらえるかまで、一人では責任を持ちきれない。
どんなに巧い噺家だって、聴くつもりのない人を振り向かせるのは難しいだろう。
20歳そこそこ、精々25歳程度の若者に対して、あまりにも漠然としすぎた期待である。

市場で求められている人材とは、つまり矛盾と混沌を飲み込める人である。

社交的で、前向きで、努力を惜しまず、ときに自省し、
従順でありながら、自発的で、明るくて、
積極的で冒険心があり、
誇りを持ちながらも、謙虚さと配慮を持ち合わせ、
知性と体力を備え、余暇を楽しみ、
社会の枠組みそのものを疑わない程度には、
創造的で想像力があり、
自己に満足しながらも、向上心を忘れず、
安価な賃金で働いてくれる人である。

ありえねー。

今日の一言。
誰にだって、相性の良し悪しはある。
誰とでも仲良くなれる人は、
誰にも求められていないし、
誰にも理解されていない。