サマリタン

映画、本、毛糸もろもろ。

晩秋。

お久しぶりです。

寒くなってきた。

いつのまにか、街はどこもクリスマスのデコレーションで、

最近、アドベントカレンダーや、シュトーレンなど、

クリスマスに関する、各国の習慣が日本でも広まってきたようである。

と、言うか、クリスマスよりも前に、紅葉はどうなったのであろうか。

気がつくと、11月も中旬。

一度、紅葉の京都に行って見たいが、

意外と行くチャンスも無いままで、

実は紅葉のための旅行というもの事体、

家族旅行(私の記憶は無い)程度である。

紅葉をたくさん拾って大喜びだったらしい。

車窓からボンヤリと外を見ていたら、

ふと、真っ黄色の銀杏の木が並んでいた。

プラタナスも降り注いでいた。

まだ晩秋。

クリスマスは冬至の後だ。

だから、今からクリスマスのイルミネーションを見ても、

今ひとつ、しっくり来ないのだろう。

さて、先ほど、テレビをつけたところ、

厚生労働省の元事務次官夫妻殺害及び、

事務次官の妻傷害事件のニュースが飛び込んできた。

聞きかじった情報ではあるが、

どうやら、お二人とも基礎年金に関わる政策立案と決定に関する責任者だったようだ。

もしも、政策に関する恨みや責任を求めての事件だとしたら、

全くもって、恐ろしい話である。

引退した公務員(高級官僚と言っても良いかもしれないが)の妻までが、

被害に遭うのである。

うっかり、キャリア公務員と結婚も出来やしないものだ。

そもそも、譬え、ある時に、ある政策の責任者であったとしても、

政府の行為の全ては、

個人に負わせることも、負うことも出来ないものである。

それは民間企業も同じことであろう。

組織としての行為と、個人の行為を混同してはならない。

一人ひとりが善良な個人であったとしても、

組織は間違えを犯すものであり、

正しいかどうかの判断もまた、

個人には出来ないものである。

当時の政策が、仮に、間違っていたとしたのなら、

現在の担当者に至る、決定事項に関わった全てに人、

最終決定の権限を持つ人々、

すなわち国民もまた責任の一部を負うものなのではないかと思う。

でなければ、国家公務員などという職業はあまりに責任が重過ぎる。

もちろん、特別公務員である国会議員等、

特殊な公務員の負う責任は国家の毀損に関わりうることは重要であるので、

ミナサン、選挙には是非投票に行きましょう。

何も変わらない、と、言うだけでは、本当に何も変わらないのである。

と、言いつつも、誰か是非、と言うお方は副うそう出会えるものでもないので、

さあ、総選挙と言われても、投票する権利をついつい持て余してしまう。

今日の一言。

麻生総理の話し方はとても癖があって、

何だか真似出来そうなのだが、

どうも巧く出来ない。

いや、出来なくとも良いのだが。