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サマリタン

映画、本、毛糸もろもろ。

「カラスと書き物机は何故似てる?」

噂の映画『アリス・イン・ワンダーランド』を見てきた。
初3Dで、ちょっと不安。
3Dメガネなんて、TDLのアトラクション以来だ。

どれくらい前なんだか、とりあえず「キャプテンEO」の後のヤツは3Dだったから、それ以来かな。
キャプテンEO」復活したけど。

箱物アトラクションでなかったし、子どもにはあまり面白いアトラクションではなかった気がする。
昔のチケットだと、確かDかCチケットで、
必ず余るものだから、足休めに一度は入ることになっていた。


予想通り、メガネonメガネで、耳の上が痛くなった。
『アリス』は、『アバター』と違い、予め3D用に複数のカメラで撮影したものではなく、
後付けで3Dにしているせいもあるのか、
技術進歩にはちょっと驚いたものの、結局、少し飛び出て見えますよ、ってなくらいで、
紙芝居や人形劇の舞台のようであったのは否めない。

後付け3Dはデジタル撮影が当たり前になったから可能になったこと自体はすごいことだと思う。
今後、マトリックスなんかも3D化出来そうな気がする。

さて、以下アリス。
ストーリーについては割愛。以下参照あれ。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=334516

チャーリーとチョコレート工場」「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」のティム・バートン監督が、
ルイス・キャロルの名作『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』を基に、
19歳に成長したアリスの新たな冒険を、最新の3D映像技術で鮮やかに描き出す冒険ファンタジー大作。
ヒロイン、アリス役には新星ミア・ワシコウスカ、共演にジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター、アン・ハサウェイ
 子どもの時に体験した不思議の国(ワンダーランド)での記憶をすっかり失くしていた19歳のアリス。
ある日、好きでもない相手からの突然のプロポーズに困惑していた彼女は、チョッキを着た白うさぎを目に止める。
その不思議なうさぎを追いかけて穴に落ちてしまうアリス。辿り着いたのは、
アンダーランドと呼ばれているあのワンダーランド。
白うさぎをはじめこの世界の奇妙な住民たちはみな彼女の帰りを待っていた。
アンダーランドは今や独裁者・赤の女王に支配された暗黒の世界で、アリスこそが年代記が予言する救世主だったのだ。
そして、そんなアリスを誰よりも待ちわびていたのが、赤の女王への復讐を誓う謎多き男マッドハッターだったのだが…。



アリスとマッドハッター、白の女王、スペードの騎士くらいしか、普通サイズの人間がいないので、
ほぼフルCGを見ているような感覚で、アニメを見ているようであるが、
フルCGアニメと実際の俳優を同じ絵に入れても不自然さが全くと言って良いほどないのは素晴らしい絵。

画面全体の色味の鮮やかさと毒々しさ、一方で煙ったような暗さは、ティム・バートン流。
スウィーニー・トッド』や『チャーリーとチョコレート工場』の雰囲気そのままである。

登場するフルCGキャラクターの、アブソレム(青虫)やチャシャ猫、トランプ兵、ジャバウォッキー等々、
動きもなめらか、声を当てている俳優ともぴったりで、その辺りも素晴らしい。


最初、ロンドンの夜景を空から降りてゆく目線で始まるところは『ピーターパン』のようだ。
寝床につくアリスは、まるでウェンディのようでもある。
夢と現実、子どもと大人と言う対比と言う同じテーマを持った物語故であろうか。

オリジナルアリスと同じく、妙な夢を見て目が覚めてしまった子どものアリスは、
優しい父に見守られながらベッドで眠りにつく。
一転、19歳ののアリスが登場。
19世紀イギリスでは、19歳はすでに大人の女の扱いのはずだが、
アリスは、薄いオーガンジーのようなワンピースで、飾り立てた帽子やらアクセサリーはほとんどつけていない。
母親に、コルセットやストッキングを身につけていないことを叱られ、
ネックレスを譲ってもらう。
ここ、何かの複線になるかと思いきや、何もなかった。

身体を締め付けない、緩やかで淡い色調のドレスは、
少女の軽やかさと幼さを残しつつも、
少しずつ大人の女の匂いが仄かに香るような柔らかい色気も感じさせる。

ウサギの穴に落ちてからは、時にこっそりと、時に状況に合わせて服も替わる。
小さくなったり、大きくなったりしても、
ディズニーアニメでは、服ごとサイズが変わったものだが、
この辺は少し大人風味。
ゆるゆるに巻き付けてみたり、ぴったぴたになってみたりと、
肌見せサービスしつつも、大きさが変わったことを上手に演出している。

100428アリス・イン・ワンダーランド02.JPG

淡色の青と白のボーダーに、シルクのリボンが、愛らしくも色っぽい。
その世界観はジル・スチュアートか、ポール・スミスのランウェイのようにも感じる。

メイクも極力抑えめながら、淡色使いで不健康にならないぎりぎりまで色味を抑えている。
これまた、ポール&ジョーのパッケージのようなかわいらしさ。
このメイクはドール顔だからこそ似合うのであり、
アリスは、いたずら好きであまのじゃくな、動くアンティーク人形のようでなければならない。
よって、キャスティングで、この映画の出来がほとんど決まったようなものでもある。
アリスこと、ミア・ワシコウスカの小さな顔に、白い肌、薄い金髪、華奢な身体つきが功を奏している。
だが、長いこと架空の国の女の子として世間一般に定着したアリスを実感させるのは難しい。
そこで、長い睫とすこし曇った瞳に産毛のような眉を厳しく寄せた表情を作る。
そのしかめ面こそ年頃の女の子でもあり、生きたアリスを体現出来るのである。

実際、ミア・ワシコウスカは21歳で、意外や意外のオーストラリア出身。
母親がポーランド出身だからだろう、北欧系の骨格と肌そしてバレリーナの如き身体は、
同じオーストラリア出身のニコール・キッドマンとも似た透明感があり、とても魅力的だ。
ティム・バートンに見いだされたくらいなので、今後、大物になる可能性ももちろんあるが、
この手の顔はファンタジーかSF向けなので、珍重される一方使いづらいため、
すっかりご無沙汰、なんて羽目になりかねない。
先述したニコール・キッドマンや、マリオン・コティヤールのように、
年齢を重ねるほどに、若さだけではない美しさを増すような、魅力を磨いてほしい。

白の女王を演じたアン・ハサウェイもまたCG不要のお人形顔である。
まっすぐの黒い眉に大きな大きな目、白い白い肌にほとんど黒い唇、そしてプラチナブロンド。
よく見れば(見なくても)、不自然な組み合わせが何故か美しい。
もともと美しい人ではあるが、これまた、無国籍な彼女の顔立ちがなせる技なのだろう。

赤の女王はいわずもがな。
ヘレナ・ボナム=カーターの地顔が真ん中にあるのはわかるのだが、
赤い衣装に身をまとい異様に大きな頭を抱え、
細い眉、のっぺりと塗った真っ青なアイシャドーにおちょぼ口と、白の女王の対であることは当然ながら、
同じく、わかりやすいまでの不自然な外見である。
ヘレナ・ボナム=カーターは、『スウィーニー・トッド』と同様に、
不健康で、倫理から遠く、孤独な役柄を演ずる。
一応、物語の中では悪役に位置するが、全くの悪というわけでもない。


当然、白の女王もまた正義とは限らない。
ほとんど表情を変えずに、柔らかい物腰にふわふわと手を動かし、
あらゆる生き物を殺さないと言い切る白の女王は優しくも無責任である。
これは、何もしないで楽しく遊び続けていたいアリスの中の未熟さの象徴であり、
いびつに歪む我が儘いっぱいの赤の女王こそ、
アリスが拒みつつも受け入れざるを得ない大人の世界の象徴なのである。

アリスにとって大人になることは、白く整然とした無垢で無責任な世界を
飾り立て、色とりどりに塗り分け、歪めることなのである。

白の女王は大人びているが、美しいばかりで、力もなく、ただ愛されるだけの子どものような女、
赤の女王は子供じみた我が儘や気まぐれを言っては暴力的に権力を振り回し、畏れられながらも愛されない孤独な女。
二人は、大人のような子どもと子どものような大人と言う対照的な矛盾を孕む。
アリスの抱く、子どもと大人、と言う二分法の矛盾が、
「ワンダーランド」全体の矛盾を生んでいるわけだ。

アリスは大きくなりすぎて、赤の女王の言われるままに赤いカーテンのドレスを着ることもあれば、
小さくなっては、帽子屋の作るドレスを着ることもある。
そして、白の女王の作る、ほとんど毒薬で元の大きさに戻り、騎士の鎧を身にまとうこととなる。
そして、最終的には、剣を手に、ジャバウォッキーを倒すことを決意し、首をはねるのだ。

100428アリス・イン・ワンダーランド01.jpg

帽子屋には、このままこの世界にいれば良いのに、と提案されるのだが、
結局、アリスはジャバウォッキーの血を飲んで、家に帰ることを選ぶ。
そう、「おうちが一番」なのだ。
って、オズの魔法使いのドロシーになっちゃうのか。

そしてアリスは大人になることを認める。
だが、「男に嫁ぎ、男の世話をして、跡継ぎを産み育てる女」ではなく、
「人やモノを動かしてお金を稼ぐ」ことを望む。
それは、まさに男の大人である。
ティム・バートンのアリスはそういう結論を出した。

けれど、その先は考えたのだろうか。
アリスは結局のところ特権階級の家の娘であるが、
当時の特権階級の男だって楽ではなかっただろう。
候補者だった胃腸の弱い彼だって、アリスの代わりに誰か嫁が必要だし、
その後、世継ぎをもうけて、家を支えなければならない。
胃腸が弱くても、虚勢を張ってでも、なけなしの権謀数術を巡らして、
家の世間体を守らなければならないのだ。
ビジネスにも興味なさそうだし。

アリスのような、風変わりな女の子は、実際にいたであろうが、
「女の仕事」が嫌であっても、「男の仕事」を求めたのだろうか。

それこそ、シャネルのように生きるにはそれだけの覚悟と才能が必要なのである。

すべてが性別で分けられていた時代を、現代の価値観で振り返ると、
性別に押し込められた人生は、とても不幸に思えるが、
当時生きていた人々がすべて不幸であったわけではない。
私たちの生きているこの時代と同じく、
不幸と幸福は、同じくらいあふれていたはずで、
たくさんの選択肢があるからといって、幸せを選べるわけでもないことを、
私たちは知っているはずなのだ。

今日の一言。

赤の女王のタルトを食べてしまったカエルが、ケロン人に見える。