「テロリスト・ワールド」出版記念トークイベント 真鍋厚×津田大介「テロは私たちの何を変えたのか? に行ってきた。
おはようございます。
今日はタイトルの通り、
3月25日(金)に高円寺までおでかけしてきた。
開催場所はここ。
記憶が埋もれないうちにメモをしておく。
2月に刊行された「テロリスト・ワールド」の著者
真鍋厚氏と、津田大介氏の対談である。
真鍋氏にとっては処女作だが、
以前から、自費出版で映像作品や映画批評の活動をしており、
映画等、映像表現への関心が高く、
「映像のなかの暴力」「暴力と映像」という視点から、
テロを扱った批評となっている。
映画やマンガなどが好きな人にとっても、
興味深いのではないかと思う。
版元の現代書館による新刊案内はこちら。
http://www.gendaishokan.co.jp/new06.htm
帯には〈暴力のリテラシー論〉と言う言葉もあるが、
私なりに言うと「テロとは何だろうか」を問を投げかけている。
テロリストとは何者か、
テロの主体は誰なのか、
テロリズムとは何なのかを、
主に20世紀の歴史的変遷を追いながら、
今、まさに起きていること、起こりうることを
考察するのに、とても役立つ一冊となっている。
政治学や国際関係論の専門書に比べて、
たいへん読みやすい文章で書かれており、
また、各章毎にテーマがまとまっているので、
気になる順に読んでも良いだろう。
軽い気持ちで読めると思う。
でも読み終わった後は、重たい気持ちにもなる。
また、最後に入手可能参考文献もあり、
入門編としても便利だ。
今回のトークショーでは、
メディアに造詣の深い津田大介氏の視点も入り、
本の内容からさらに一歩踏み込んだ、
または広がった内容となり、
示唆に富む刺激的な対談となった。
以下、箇条書きで気になった点、面白かった点を挙げておく。
テロリストとは何者か、それを決めるのは誰なのか。
・テロリストを自称するものはいない。
・既存の体制を脅かすものを、権力者がテロリストと呼び、異質なものとして囲い込むことによって、弾圧と排除を行うものである。
・テロが、自らの要求を遂行するために行う精神的暴力行為であり、意志を通すために実力行使に出ることをテロとするか否かの線引きは、恣意的にも、無自覚にも、曖昧になり、テロは拡大していく可能性がある。
・匿名ブログでの強い語調での書き込みが、デモに拡大し、政府への圧力となる現象もまた、テロにされる可能性があるということ。
・テロリストを検挙する事由として、特定のグループとの交流や、テロ行為に結びつくとされる情報へのアクセスがある。
何(誰)と関わることがテロに結びつくのか、それを決めるのは誰なのか。
・ネルソン・マンデラやマハトマ・ガンジーも、かつてはテロリスト扱いをされていた。
・誰もがテロリストと呼ばれる可能性がある。
日本文化とテロ
・日本人は、「社会の不条理」よりも「社会の悪」を信じたがり、悪を外科的に取り除くことで、理屈が通るという考え方を好む。
・山本七平による「応報思想」という指摘。
・死刑制度が廃止されないのもまた同じ理論なのではないか。
・「テロリスト」を絶対悪として捉え、テロの原因を社会システムの不備や、歴史的経緯による報復行為としては見なさない傾向がある。
・戦前の軍部による暗殺など、ロマン主義的(既存秩序の破壊、権力者の排除によって自ずと理想的な社会が実現するという考え)に基づいたテロ行為があったという事実。
・欧米では、移民、難民の流入により軋轢や衝突が日常化しているが、日本は距離があることもあって心理的にも身近ではない。
・植民地時代から今に至るまでの歴史的知識、関心が乏しい。
・経済的植民地主義ともいえる、西欧中心のグローバルな経済的抑圧構造に対して無頓着、無関心でいられる。
※日本人が海外で起こるテロ事件に対して無関心であったり、冷淡であるという意味とは異なる。
・今テロと言われている行為を完全に止めさせて、テロリストと呼ばれる人々をなくすことは出来ない。
過激派組織のプロパガンダ映像から見えること
・過激派組織が作成した勧誘ビデオを紹介。
・ナショナルジオグラフィックやBBCのような大手のドキュメンタリー映像並みの洗練されたタッチによる映像。
・カナダからやってきた若者が、過去にどんな暮らしをしていたか、今どんな暮らしができるのかを語る。
・快適な環境の付与、良き仲間と言った、居心地の良さをアピール。
・活動に加わることの意義、誰もが持てる技術や知識を活用し、貢献できるという、やりがいのアピール。
・美しい自然環境の中での、牧歌的で、かつてはあったとされる(実際にはありえなかった)古き良き時代の生活のアピール。
・語り手であるカナダ人青年が、実際の戦闘で銃撃を受け、死亡した瞬間も映像に収められており、回収された遺体も映し出されるという衝撃的な側面もある。
・現状への不満と、「何者かになりたい」という曖昧なアイデンティティの不安、帰属意識と承認欲求の戦いとしての過激派組織への参加。
差別主義者はテロリストなのか、なりうるのか
・いわゆるヘイトスピーチをする人々とはテロリストなのか。以後、テロリストになりうるのか。
・差別主義の活動がサークル活動的なガス抜きとしての作用もあり、規制や禁止によって先鋭化する可能性が高まるのではないか。
・実際に差別的な言葉を投げかけられる被害者がおり、それを放置・容認すべきではない。
・法制化によって引き起こされる問題の大きさ。自治体単位での対応が望ましいのではないか。
・ヨーロッパ諸国ではヘイトスピーチは法的に処罰対象としている例がある。一方アメリカではヘイトクライムを厳罰にすることで抑止しようとしている。日本はどの道を取るのか。
・悪意のある問いかけがされたとき、対応によっては差別に加担することになる可能性。
今後の日本社会の不安要素
・日本会議と言った、一部の人々(主に中高年男性で組織された団体)の考える
(あったかどうかは怪しい)古き良き日本を復権しようとする動き。それによって起こる歪みがもたらすもの。
・自民党の強さ、したたかさに対抗できる政党の不在。
・結局のところ、既存の体制へ対抗するものであるテロリストの完全な排除は不可能であり、テロリストを生む素地を一つずつ減らしていく努力が必要。
・テロリストと呼ぶ者も、呼ばれる者も、同じ不安の上にある者同士の衝突であり、それを認識すること、共有することが必要。
・自分自身のアイデンティティが不安定だと、異文化であったり他者への不寛容が生じる。それによる、多文化共生の正しさと、実現の難しさ。
【個人的感想】
・日本で今後テロが起こるとしたら、やはり日本人によるものではないか。
・日本では、イスラム国のような組織の発信する、西欧文明を敵とみなすイメージを共有しファンタジーを維持するのは難しく、ヨーロッパで起こっているような事件とは異質になると思われる。
・ネット、SNSで顕在化する被抑圧者の声がある一方で、被抑圧者がタコツボ化しており、政策への反映や法制化には結びつきづらいのではないか。
・但し、日本では、暴力行為に及ばずとも、やり方によっては、声は届くし、要求は通る。
・所属意識を満たすコミュニティの不足状態による不安の増幅。
・時が経てばある程度自然に代替わりが起きる。今のまま変わらない部分もあれば、変わる部分もあるはず。
以上。
真鍋氏、津田氏の言葉に対して、勝手な憶測も含んだ内容となってしまった。
同じ話を聞いて全く違う感想や意見を持つ人もいると思う。
ほとんどすべてが私の個人的な感想と言っても良い。
テロとは何か、とは、落としどころのあるテーマでもない。
また、テロを悪・不正義とするならば、
テロとは何かとは、正義とは何かでもある。
下手に「まとめ」をすると、捨象されるものも多く、
結論めいたものはないままにしておく。
今回は不勉強を実感したので、
せっかく自前で持っている書籍も含めて、
もう少し、本書を読み込んでおきたい。
来月もイベントあるそうです。
興味を持った方はぜひ。
サイン貰ったよ。