サマリタン

映画、本、毛糸もろもろ。

眠れなくて眠い

先週、体重を正確に測る機会があり、
体脂肪や体水分量の実数値と直面した。
ただいま、微増中。
パンは控えないと、暴走の可能性が否めない。
以前、大増量したときは、菓子類や肉よりもパンが原因だった。
食べる手間がかからないため、安易に手が出てしまうのである。
空腹かどうか、など関係なしに、何かを口に入れたくて、食べていたようだった。
ストレス、疲労、情緒不安などなど。原因は多すぎて単純。

今日は最近ニュースになったモデルの体重制限から
今まで思いついたことを書いてみようと思う。

過食症はヒトゴトではなく、誰にでも陥いり得る、身近な現象である。
実は拒食症よりも、過食症の方が症状が見えにくい。

拒食症は明らかにものを食べず、衰弱していく。
本人の自覚はともかくとして、傍から見て、危なげな様子が見えるのである。
モデルや新体操の選手、フィギュアスケートの選手には、拒食症が多い。
その痩身願望は、美の追求だけでなく、
完璧な身体管理の追求願望が隠れている。
いずれも、外見で厳しく評価される生業である。
担い手の多くは若い女性だ。
プライドとストレスの葛藤が、そのまま肉体に現れるのではないだろうか。

一方で過食症の進行はわかりづらい。
大体、食事の量は一見して普通であり、見た目もたいした変化がない。
隠れて大量に一気に食べる。
止めようと決意し、人によっては吐き出し、次の食事を控える。
体重増加には十分に気を使っていることも、珍しくない。
毎回、もう止めようと思うが、また繰り返す。
止められなくなった時、病気と呼ばれる。

また、これだけダイエットだ、メタボリックシンドロームだと、
カロリー制限が叫ばれながらも、
たとえば、一見して健康な若い子女が食欲旺盛であったとき、
賞賛こそあっても、非難はされない。
最近、スペインのモデルに体重制限が設けられたニュースが報じられたが、
痩身願望を諌める意見の方が、良識とされているようだ。

むしろこれだけカロリー摂取を厳しく諌める風潮だからこそ、
自由気ままに食べる人に対する視線は複雑である。
その視線には、羨望や嫉妬だけでなく、嘲笑が隠れている。
そこには、気ままに食べたいだけ食べるなんて、
いつか、悪徳に気づく日が来るのだろうか、という含みを感じるのである。

痩せたモデルに対する視線は、嫉妬交じりだ。
少しぽっちゃり目がかわいい。
なんて、ほとんどがウソだと思っている。
多くの場合、良いとされる肉付きは、
「ぽっちゃり」ではなく「グラマー」であったりする。
「グラマー」には性的な感情が含まれている。
「ぽっちゃり」には、母に抱きかかえられるような、接触と情愛が感じられる。
こうして、言葉の言い換えで、
身体への視線は微妙にずらされている。
性を母へ置き換えて、何か免罪を求めているかのようである。

過食症の人が、何故食べ続けるのか、何故吐き出すのか。
拒食症の人が、何故食べられないのか、食べることが怖いのか。
それを、痩せたいから、と片付けてしまうのは、
あまりにも単純すぎる解釈ではないか。
健康な身体は、無意識である。
身体への過剰な関心は、病的である。
だが、その病を、心の問題に還元してはならない。
心と身体が不可分でありながら、
完全に一致しているわけではないのだから。
心の正しさが身体の正しさをあらわすわけではなく、
また、そもそも、正しいとは、どんな状態なのか、
もう少し考える必要がありそうだ。

さて、考えが散漫になってきたところで、
今日はおしまいにしよう。

今日の一言
食べることは世界と関わること。