読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サマリタン

映画、本、毛糸もろもろ。

2017年1月に見た映画(1)

こんにちは。

2017年に入って、まだ映画館には行けていません。

NetflixとHuluで映画やテレビドラマを見るくらいで、

レンタルもしていません。

今年は、ちょこちょこでも見た映画やドラマを挙げていこうと思います。

 
 「アイ・スピット・オン・ユア・グレイブ アナザー」(2014)

 原題はヒロインの名前の「Julia」です。

ジュリアは整形外科の看護師で黒縁眼鏡をかけていて

ちょっと野暮ったくしていますが、

実はセクシー美女です。すぐにわかります。

「アイ・スピット・オン・ユア・グレイブ」と似た展開ではありますが、

シリーズものではありません。

何故か、挿入歌が日本語の歌です。

誰の趣味なんでしょうか。

95分と短めですが、それでも冗長に感じます。

流血シーンはありますが、そのものは出てこないので、

物足りないかもしれません。

Julia (2014) on IMDb  

 

「アイ・スピット・オン・ユア・グレイブ2」(2013)

これを見るのは二回目です。

「~アナザー」を見た後、なんとなく流れで見てしまいました。

やっぱりこっちの方が面白いです。

舞台はニューヨーク、ヒロインはモデル志望の華奢な美人で、

理不尽なまでにひどい目に遭います。

心が折れそうになりますが、

「こんなところで、こんな死に方したくない!」

という強い心と復讐心でリベンジしていく様は小気味良いものがあります。

「ホステル」でもそうなんですけど、

東欧は、かつてのテキサスみたいな無法地帯扱いで文句でないんでしょうか。

実際、ちょっとトラブル巻き込まれたら最後な感じはしますけどね。

Netflixで1と2両方とも配信中です。

I Spit on Your Grave 2 (2013) on IMDb  

 

「バウンド9」(2011)

ソウ風味のソリッドシチュエーションホラー。

謎の組織や謎の装置が出てきますが、

まあその辺ははっきりしません。

やたら痛そうです。

登場人物を多くすることで、

60分くらいでまとめられるところを90分にしているような

場つなぎのような印象があります。

Vile (2011) on IMDb

 

「リピーテッド」(2014)

ニコール・キッドマンコリン・ファースが共演したサスペンスです。

マーク・ストロングも出てきます。

とある事件がきっかけで、

ヒロインが目が覚めるたびに20代前半以降の記憶がない状態になってしまうという

 病気(?)なのですが、本当にそういう症状はあるのでしょうか。

見た印象では心因性のようです。

キャストは豪華なわりに凡庸な出来。

察しの良い人なら、中盤で展開が読めてきます。

 Before I Go to Sleep (2014) on IMDb

 

 「クリニカル」(2016)

Netflixで最近配信されたサスペンス。

原題と邦題が同じです。

オカルト現象のようなシーンもありますが、

これは超常現象なのか、それとも幻覚なのか、

それもまた謎です。

途中で登場するキャラクターの話で大体見えてきますが、

どう落とし前をつけるのかはなかなかわからないので、

最後まで楽しめると思います。

出来としては、「リピーテッド」とさして差はありませんが、

コチラの方が面白く感じました。

Clinical (2017) on IMDb

 

「ウォッチャー」(2016)

舞台はロサンゼルスですが、冒頭登場するのが日本人男性です。

特に日本ネタは出てこなかったです。

ロサンゼルスならアジア系住民も多いでしょうし、

不自然でもありませんが、日本語はちょっと怪しかったです。

アメリカでは古い家の方が価値があると聞いたのですが、

手を入れるにもお金がかかるので、

大きな家を維持するのも大変そうだと思いました。

隣人との関係が、アメリカン・ホラー・ストーリーS1を思い出しました。

The Watcher (2016) on IMDb  

 

 どれもIMDbでは5点から6点程度の作品で、

傑作とは言えませんが、

どれも及第点というか、悪くはないと思いました。

「セブン」や「羊たちの沈黙」クラスのサスペンスは

そうそう出てきませんね。

2017年あけました。

こんにちは。

あけましておめでとうございます。

2017年もぼちぼちですが何か書くつもりです。

 

昨年の10月に出産し、日々慌ただしく過ごしておりますが、

まずは体重を戻して、

以前の服が入るようにするのが目標です。

体力もまだ戻り切っていない(というか戻るのかも疑問)のですが、

出来るだけ体を動かして余計な肉を落とさないと、

全部とっかえという大変なことになるくらい

服が全然入りません。

 

では、今年もよろしくお願いします。

森達也×真鍋厚「世界がすべて〈FAKE〉なら~寛容と不寛容をめぐる対話~」に行ってきた。

こんにちは。お久しぶり。

 

今回もまたイベント報告。

来る8月26日(金)東京駅前の八重洲ブックセンターにて行われた

映画監督の森達也氏と、「テロリストワールド」著者の真鍋厚氏の

トークショーに行ってきた。

「テロリストワールド」刊行記念のトークショーもこれで4回目。

森達也氏はドキュメンタリー映画作家としても著名な方なので、

映画「FAKE」を見て参加された方も多かったのではないかと思う。

 

 まずは本題の前に、それぞれの紹介と一言。

 

真鍋氏より

森達也氏の新作映画『FAKE』を見て

この映画は笑いもたくさん含まれているが、

映画を見た人の感想を見ると、

「糾弾する世間=悪」「佐村河内氏=善」という、

単純化された対立構造で見る人が多い印象がある。

「支持者」と「アンチ」に分けて二元論的に単純化してしまっている見方は、

様々なところで昨今多くみられる傾向だと思う。

 

森氏より

オウム真理教地下鉄サリン事件から20年経過を振り返って

「カルト」という言葉が人口に膾炙したきっかけになった事件。

「カルト」でくくってしまうことで、社会や文脈から切り離してしまい、

理解を妨げてしまうという問題もある。

 

二元化を中和する有効な方法として、「笑い」がある。

『FAKE』でもしばしば「笑い」の要素が含まれている。

 

『FAKE』を制作した理由

佐村河内氏の騒動の頃、同じようにSTAP細胞や食品偽装、

朝日新聞による従軍慰安婦証言の偽証等、

「ウソ」をめぐる話題が多く、

真実と偽装という対立に関心があった。

 

ネットの常時接続状態におけるメディアリテラシー

・IS関係のテロ事件の多発するヨーロッパでのテロの定義の拡大

・例として、2016年7月のフランス、ニースで起きた事件はテロなのか?を考える。

 フランス当局はテロであると発表

 →令状なしの捜査可能

 文書や声明は発表されていない

 →ISは影響を利用

・取締る側と、テロを起こす側との循環構造

・取締り側やメディアもまた、

 テロの目的である、恐怖・不安の喚起、

 政治思想の拡散に加担させられている状況ではないか。

SNSによる事件の共有と拡散

・事件の詳細を咀嚼しないままに消費され終わってしまう。

・個別の事件を起こし、無関係な事件も含めて連鎖的に見せて、

 不安と緊張を高めることで、治安を見出し、

 「前線」を作り出すという手法によって「戦争状態」を作り出すという意図。

・マスメディアは、事件を報道しないわけにはいかないが、

 報道によってテロ行為に加担しているという状況の困難さにある。

・編集者の介在しないSNSのメディアとしての働きに対するリテラシーの必要性。

・本来、オピニオンのない暴力行為は「事件(Affair)」であり、

 「テロ」とは言えないはずである。

・なんでもテロにしていまう問題。

・シリアの状況に対するリテラシーの難しさ。

 →主な情報源がロシア当局によるものであり、

  多角的視点がないこと、それに気が付かない状況

 ・遺体を映し出さない、遺族に対する配慮、報道による自主規制

 →特にテレビは遺体を映し出すと抗議がくる。*1

・社会とメディアは相似形にある。

 メディアがやらないことは、社会が求めていないこと。

 

ゼロ・トレランス=不寛容の罠

・「ジハーディ・ジョンの生涯」の紹介。

・テロ活動に参加し、一線を越えたジハーディ・ジョンと、

 越えなかった他のムスリムの違いは何だったのか。

・若いムスリムたちには、

 「自由の戦士」に対するぼんやりとした憧れを持っているが、

 実際に、みんながみんな、テロ活動に参加するわけではない。

・移民2世、3世の若者のアイデンティティの不安定さから、

 過激主義に引っ張られてしまう。

・疎外感、孤独感、無力感から来る行き場のない感情。

・不寛容に追い込むことで、一線を超えるきっかけを作ってしまう。

・小さな疑いを許容しない社会の危うさ

 

二分化、二元論の危うさ

・二分化・二元論は、不寛容さに直結する危うさがあること。

・(日本人は)社会の不条理よりも社会の悪を信じたがる。

・何か理解しがたいもの、わかりにくいものに直面したときに、

 安易にレッテル貼りをしてしまうことがある。

 例)オウム真理教はカルトなのか?

・社会や文脈から切り離してしまうことで、理解を妨げ、

 「悪いもの」として糾弾するべき対象にしてしまう。

・2016年8月の相模原市障碍者施設での事件では、

 容疑者は明確に「生かすべき命」と「そうではない命」を線引きしていた。

・あらゆる側面にあるもの。

 

以上。

 

時間をおいて書いたわりに、あまりまとまっていないかな。

今回のトークショーはメディアとテロという視点の話題が中心であったと思う。

但し、メディアと言っても、お二人の視点は若干異なったように感じた。

森氏の言うメディアは主にマスメディアやジャーナリズムの視点に立ったものであり、

真鍋氏の場合は、2010年代以降のソーシャルメディアを主軸にした、

未編集で個人的な視点を含めた印象があった。

どちらが正しいというものでもないが、視点の違いは重要だと思う。

何か情報に触れたときは、

「これは誰の視点なのか」「どんな意図があるのか、ないのか」

を考える癖をつけた方が良いだろう。

「釣り」「コラ」と言われるような、

スリードを誘うネタ対策にもなると思う。

 

個人的感想や、考えたことはまた改めて書くことにする。

 

関連本

ジハーディ・ジョンの生涯

ジハーディ・ジョンの生涯

  
テロリスト・ワールド

テロリスト・ワールド

 

 

*1:実際に多いのは「飯時に死体なんて映すな」と言ったものが多いらしい。

「納涼⁉夏だ!海だ!死体だ! 超グロ映画ナイト:リターンズ」@高円寺パンディットに行ってきた。

今年の夏は暑くなると言われながら、曇り空が続いていた関東地方。

一足先に猛暑に突入していた西日本に追いついて、

昨日あたりから、がっつり暑くなってきた。

 

さて、先週7月30日(土)に納涼も兼ねて、

表記のイベントまでのこのこ行ってきたので、今回も簡単にレポート書くよ。

f:id:natsu_92:20160805103735j:plain

 

前回の記事についてはこちら。

死体についてあれこれ。 - サマリタン

 

映画ライターのナマニク氏と

虫プロダクション代表真鍋厚氏セレクトの

えぐえぐしいグロ映像をトークとともに鑑賞するというスタイルは一緒。

今回は、フィクション編よりノンフィクション編が盛り上がった印象があった。

集まった観客も反応が良く、

進行役のぎんちゃんもグロ映像にもちょこっと慣れたみたい。

 

731部隊の映画とか、腐る女とか、はねられたり燃えたりする人々を見たが、

事件があれば、動画が撮影され、

あっという間に共有される時代なのだなと

シミジミ感じ入ったものであった。

 

フィクション編

終戦記念日特集≫

・ご存じ旧日本軍が行ったとされる人体実験の数々を扱った映画が作られたが、

 731部隊のものは 雑さとグロさが際立つ。*1

・ロシアの映画の謎演出、そして長い。(DVD買うと高いみたいです)*2

731部隊は解剖大好き。

・低圧実験は人気の題材のようだが、事実誤認が多いみたい。

・やられる側の人たちは叫ぶばかりで言葉を話さない。

 「助けてー」とか「止めてー」と言った台詞は一切なく、

 「ギャー」とか「うわー」ばっかり。

 

≪日本未公開系≫

・グロではないが、頭にパン(鍋)を被ったダークヒーローものが気になった。

・その名も「パンマン」(アンパンマンじゃないよ)

・パンマン、悪党を懲らしめるときにもパン(鍋)を使用するのだが、

 鍋底で叩くのかと思いきや、柄が刺さるという斜め上の使い方だった。

・パンマン、恋したり悩んだりもするけど、衝動には逆らえない。

・自宅内で勝手に事故死した女の死体を大切にするオッサンに映画の一部を鑑賞。*3

・成人一人分の遺体は、相当臭うし、重たいはずなので、

 歪んだ愛にも根気と忍耐が必要なのだと思った。

 

ノンフィクション編

≪交通事故系≫

・アジア諸国では鉄道の屋根の上に不正乗車する光景も日常的ではあるが、

 当然事故も起きる。運営側もかなり殺す気でいる様子。

・知識不足なのか、パンタグラフに素手で触って燃え上がる人も多いようだ。

 電気って何だろうってことから始めないといけないらしい。

・日本では、鉄道が走っているところは、基本的に立ち入り禁止だが、

 国によっては(主にアジア諸国)では、勝手に渡ったり、

 ウロウロ歩き回っている人がいる。

 当然、列車にはねられる人も多々いる。

 列車は止まらないし、ブレーキすらかける気配もないままだった。

 列車と人が高速で衝突すると人は一瞬消えるのだ。

 

≪風習・宗教系≫

・前回同様、タイの人の死や死体に対するおおらかさはどこから来るのだろうか。

 ほほえみの国では、人々はほほえみながら火葬を撮影し、説教する。

・人は焼けると内臓が沸騰してお腹が膨らみ、そして破ける。

 知ってたけど、見るとなかなか強烈。

 普段、お肉やお魚焼くときは、はらわた付きじゃないからね。

・大自然の中で火葬すると、低温でじっくり焼いていることになるので、

 映像では感じることは出来ないが、臭いはきついと思われる。

 実際、バーベキューの数日後、ちょこっと汚れが残っていると、

 肉の油やカスで臭ってくるのだから、相当きつい臭いがするはずだ。

 

≪労災系≫

・安全確認大事。ほんと。

・ペーパープレスに挟まれると、出来の悪いアニメみたいに、

 持っていかれるし、ぐちゃぐちゃになる。

 

≪プロパガンダ系≫

・つまりあれだ。イスイスなあれ。

・とにかく撮影技術、編集技術が高い。

・フォーカスもばっちり合っている。

・その分、リアリティは逆に少なくなっている印象。

 出来が良すぎてフィクションみたいに感じてくるのだろう。

・首ちょんぱして頭を串刺しにしていたが、元ネタはヴラド公かな。

・一般人もためらいなくオーバーキル。

・同じ時代に生きる人々の振る舞いと思うとぞっとする。

・歴史上、オスマントルコ等非キリスト教国とヨーロッパ諸国の戦いの歴史で、

 相当残酷な手口で惨殺し合ってきたことと地続きにあるようにも見える。

 

≪事故物件系≫

・いわゆる大島てる案件の物件を紹介。*4

・亡くなった人の後処理の大変さを考えると、孤独死はしたくないものだ。

・トイレで亡くなる人は多いらしい。

 風呂との寒暖差で発作が起きやすいと聞いたので、脱衣所も多いと思われる。

・隣で人が死んでいても意外と気が付かない。

・きれいにリフォームしてしまえば、なかなか良い値段で売れる模様。

・大家や売主は、直前の住人がそこで亡くなったことを伝える義務があるが、

 それでも買う人はいるし、借りる人もいる。

 何しろとってもお買い得になるのである。

・個人的には私は気にならないのだが、家族が気にすると思うので、

 大島てる物件に住むことはなさそう。

 

 

≪ドキュメンタリー系≫

・日本で亡くなった若いアメリカ人の火葬に立ち会う

 友人たちの様子を撮った映像を見た。はしゃぎ過ぎである。

・生の遺体ではなくお骨になった状態の映像が主だった。

・亡くなった方は、大柄で、日本のお棺にはうまく入らず

 首を曲げての納棺だったそうで、ちょっと面白かった。

・火葬場では、お骨がきれいに残るように火力を調整しているので、

 大体、お骨は骨壺いっぱいになるように残るものだと思うよ。

・アメリカ人にとっては日本式の火葬は不思議な感じするのかな。

・故人が好きだったからと言って、酒を振りかけたり、

 使えるようにと現金や思い出のプリクラを骨壺入れていたが、

 これはお棺に入れる感覚というかカンパみたいな感覚なのだろう。

・遺骨は、アメリカの遺族に送ると言っていたので、

 受け取った遺族も酒臭さにびっくりするのではないか。

・日本でも地方によっては、骨壺から遺骨を出して埋葬するので、

 骨壺はあくまで仮の器と思った方が良いよね。

・お金を入れたいときは、それ用の紙幣(本物ではないもの)を

 葬儀屋さんが用意してくれるよ、と教えてあげたい。

・十円玉と一緒に火葬すると、骨がピンク色になる。これ豆な。

 

   関係ないけど、骨壺はヤマト運輸の宅急便等を利用して送ることは出来ない。

   基本的には手で運ぶことになるが、

   郵便局のゆうパックでは送ってくれるそうだ。

   また、骨壺から遺骨を出して納骨する場合、

   お墓を動かすときには、再度、骨壺に収めるのだが、

   誰が誰だかわからなくなるものである。

   日本式の火葬はお骨の形を残すため、大きな骨壺が必要となるが、

   アメリカでは完全に灰にするようなので、もっと器は小さくなる。

   骨壺も古伊万里風だとか有田焼風とかいろいろあるけれど、

   普通は桐の箱に入れておくので見えないし、

   あんまり気にすることないかな、と思う。

 

 

 

以上。突然であるが、こんな感じであった。

前回同様、死や死体というものは忌み避けられているものだが、

生きる上では欠かせないものでもある。

亡くなった方への敬意とは別として、

死体を殊更に忌むこともあまり好ましいとは思えない。

人は誰でも最後は死体になるものだ。

出来ればきれいに死にたいものではあるが、

死んだら本人にはどうしようもないものでもある。

 

どんな死に方したいですか。

 

*1:ここでは「映画の中の731部隊」の話をしています。

*2:

www.imdb.com

*3:

*4:詳しくはこちら。

大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました : 菅野 久美子 : 本 : Amazon.co.jp

鈴木邦男×真鍋厚「わたしの中の〈テロリスト〉~絶望の時代を生きるための暴力論~」に行ってきた。

またもや2か月ぶりの更新となってしまった。

今度もまた「テロリストワールド」刊行記念イベントに行ってきた。

6月22日(水)に東京の神保町にある東京堂書店で行われた、

真鍋厚氏と鈴木邦男氏の対談である。

 

6/22(水) 19時~ 『テロリスト・ワールド』(現代書館)刊行記念 鈴木邦男さん×真鍋厚さんトークショー 「わたしの中の〈テロリスト〉~絶望の時代を生きるための暴力論~」 | 東京堂書店 最新情報

 

参加費は500円と手頃ということもあり、

当日に参加を決め、少しだけ古本屋に立ち寄ったりもしてきた。

東京堂書店は数年前に改装してカフェが併設されていたり、

オシャレな店構えになったが、品揃えは充実しており、

すぐ近くの三省堂書店の広さに比べたら小さく感じるかもしれないが、

必ず、何か欲しくなるような魅力的なお店である。

Amazonも便利だが、実際の書店の良さを感じられる良い本屋さんだと思う。

 

さて、今回のトークショーは3回目となる。

4月の津田大介氏、5月には宮台真司氏と続き(私は2回目は行けず)、

今度は、著書も多数あるベテランの評論家である鈴木邦男氏と対談である。

参加者も鈴木氏のファンと思われし方々も多く見かけた。

 

時間は1時間程度と若干短めながら、ライブながらの発言も多く、

知的刺激にあふれたものとなった。

 

私が気になった話題についてまとめてみた。

 

2016年5月のフロリダ州オーランドの銃撃事件に触れて

 犯人は事件中に911に電話をし、自分の行いがテロであることを主張しており、

 テロ=正義、公正を求める暴力行為とすれば、

 個人的な恨みや疎外感を動機とする犯行とするよりも、

 大義のある行動として理解を求めている。

  

 一方で、アメリカ社会には、男性に対して、男性らしさ=マッチョ志向が強くあり、

 その不適合の歪みとしての犯行なのではないかという解釈もある。

 過去の大量殺人や銃乱射事件の多くは男性によるものであり、

 一人前の男性として認められないこと、落ちこぼれたことからくる疎外感や、

 強い鬱積が共通しているのではないか。

 

 2015年のカリフォルニア州サンバーナディーノの事件に比べ、

 犯人の個人的な側面が多く報道されており、

 動機が個人的であると見做されたことで、事件が個人の物語に収束している。

 

 「アメリカの、アメリカ人による、アメリカ人に対するテロ」としての側面があり、

 アメリカ社会での落ちこぼれ(=ヘタレ)からの攻撃でもある。

 

 何故多数の人を殺すのか。

 犯人は、犯行前に過去の銃乱射事件を参照し、

 より「大きな数」を狙っていると思われる。

 犠牲者が多いほど、注目もされる。

 理解されたい、承認されたいという欲求。

 

日本の状況 必要な犠牲はあるのか

 世界史を学ぶということは、洗脳でもある。

 過去の革命や戦争は「必要な犠牲」だったのか?という視点の欠如。

 多数の犠牲者を出した出来事を肯定的に必要だったと認めてしまうことで、

 将来の「大義のための破壊行為、暴力行為」を認めることにつながる。

 

 エコテロリズムの理論もまた、生き物や地球環境を守るために、

 死者もやむなしとする考えがある。

 公民権運動の延長として、動物や自然環境もまた、

 権利を獲得する戦いをしているという考え。

 

SNSと言論の荒廃(日本の場合)

 TwitterFacebookのようなSNSによって誰もが発言出来る技術が根付いてきた。

 しかし、散漫で、ときに傲慢な言葉の暴力もまた溢れている。

 

 いわゆる「ネトウヨ」と言われるような、愛国主義的で、強い言葉が目立つ。

 しかし、「文学」足りえない大量の言葉があるだけで、

 主義主張としてのまとまりはない。

 

 理想とする「すべき行い」「あるべき姿」の中に、

 社会全体、弱者への目線がない。 

 共同体意識、一体感の欠如。

 

 同じ日本人でありながら、自分以外を「異質な他者」とし、

 一方で、理解を求め、認められたいという心理を感じる。

 

 不快な言葉は見ないことも出来るにも関わらず、強い中毒性がある。

 見えない発言者とのやり取りばかりに熱中してしまう。

 

テロリズムと宗教、愛国心

 本来大義のためであれば「殺人」は必要ないこと。 

 愛国心や信仰心はともすれば傲慢になる。

 生まれる国をあらかじめ選べない。

 愛国心は付与されたものを宿命化するもの。

 日本では、宗教の話題になると、日本人にとって都合の良い、

 耳心地の良い話になりやすい。

 過去にあった宗教弾圧やそれによる犠牲を学ぶ必要がある。

 日本人の心理は、個々人では謙虚な態度を示すが、国単位になると傲慢となる。

 

感想

 テロリスト、殺人を犯すものは「普通の人」ではないのだろうか?

 むしろ「普通」と地続きにあるものなのではないか。

 

 テロリストを名乗ろうとも、

 個人的な鬱積が動機であろうとも、

 むやみに他者を殺傷する行為の道徳的な位置づけに差はないのではないか。

 

 何故、個人的な動機で事件を起こしているのではない、と主張したがるのか。

 社会での「敗者」であることを認めたくない心理や、

 社会になじめないこと、希望の仕事に就けないこと、貧しさなど、

 一般的で小さな不幸は、一方で解決も難しく、大きな不幸をもたらすものである。

 弱者の立場に甘んじることへの疲弊があるのではないか。

 

  SNSは、チュニジアを発端としたアラブの春で使われたように、

 一体感を高揚させる力もある一方で、

 言葉で溢れるディスプレイを眺めたときに

 雑踏に淋しさで立ち尽くすような、

 取り残されたような、孤独感に襲われるときがある。

 姿が見えない分だけ、言葉の量が存在感として現れることで、

 認めてもらいたいと望むだけ呟き続けることを強いられてしまう。

 弱者であることで連帯出来るとは限らない。

 不幸が多様であるように、弱者は多様で且つ孤立しているものである。

 SNSは仲間を探そうとすればするほど違いが目に付くものである。

 「私は私」というただそれだけのことがとても難しい。

 

 毎日の生活費のやり繰りや、ギリギリの生活、欲しいものを我慢することの連続、

 身近な人との些細な違いや距離感からくる疎外感、

 「劣っている」「負けている」「永遠に弱者」であると突きつけられる瞬間。

 「もっと苦しんでいる人もいる」ことは分かっていても、

 自分の苦しみは自分だけのものだ。

 誰にも理解されず、孤独を感じることは誰にでもある。

 そこに、マイノリティとしての属性を持っていたり、

 普段より少し強めの拒絶(結婚の終わり、失業など)によって、

 負荷が大きくなる瞬間がある。

 そんなとき、他者への暴力的な衝動が抑えられなくなる人がいるのではないか。

 テロリストをエイリアンだと思っているうちは、

 「わたし(たち)の中のテロリスト」を見つけることは出来ないのではないか。

 

「テロリスト・ワールド」出版記念トークイベント 真鍋厚×津田大介「テロは私たちの何を変えたのか? に行ってきた。

おはようございます。

今日はタイトルの通り、

3月25日(金)に高円寺までおでかけしてきた。

開催場所はここ。

高円寺pundit' | 高円寺パンディット

 

記憶が埋もれないうちにメモをしておく。

 

テロリスト・ワールド

テロリスト・ワールド

 

 2月に刊行された「テロリスト・ワールド」の著者

真鍋厚氏と、津田大介氏の対談である。

真鍋氏にとっては処女作だが、

以前から、自費出版で映像作品や映画批評の活動をしており、

映画等、映像表現への関心が高く、

「映像のなかの暴力」「暴力と映像」という視点から、

テロを扱った批評となっている。

映画やマンガなどが好きな人にとっても、

興味深いのではないかと思う。

 

版元の現代書館による新刊案内はこちら。

http://www.gendaishokan.co.jp/new06.htm

 

帯には〈暴力のリテラシー論〉と言う言葉もあるが、

私なりに言うと「テロとは何だろうか」を問を投げかけている。

テロリストとは何者か、

テロの主体は誰なのか、

テロリズムとは何なのかを、

主に20世紀の歴史的変遷を追いながら、

今、まさに起きていること、起こりうることを

考察するのに、とても役立つ一冊となっている。

 

政治学や国際関係論の専門書に比べて、

たいへん読みやすい文章で書かれており、

また、各章毎にテーマがまとまっているので、

気になる順に読んでも良いだろう。

軽い気持ちで読めると思う。

でも読み終わった後は、重たい気持ちにもなる。

また、最後に入手可能参考文献もあり、

入門編としても便利だ。

 

今回のトークショーでは、

メディアに造詣の深い津田大介氏の視点も入り、

本の内容からさらに一歩踏み込んだ、

または広がった内容となり、

示唆に富む刺激的な対談となった。

以下、箇条書きで気になった点、面白かった点を挙げておく。

 

テロリストとは何者か、それを決めるのは誰なのか。

・テロリストを自称するものはいない。

 

・既存の体制を脅かすものを、権力者がテロリストと呼び、異質なものとして囲い込むことによって、弾圧と排除を行うものである。

 

・テロが、自らの要求を遂行するために行う精神的暴力行為であり、意志を通すために実力行使に出ることをテロとするか否かの線引きは、恣意的にも、無自覚にも、曖昧になり、テロは拡大していく可能性がある。

 

・匿名ブログでの強い語調での書き込みが、デモに拡大し、政府への圧力となる現象もまた、テロにされる可能性があるということ。

 

・テロリストを検挙する事由として、特定のグループとの交流や、テロ行為に結びつくとされる情報へのアクセスがある。

 何(誰)と関わることがテロに結びつくのか、それを決めるのは誰なのか。

 

ネルソン・マンデラマハトマ・ガンジーも、かつてはテロリスト扱いをされていた。

 

・誰もがテロリストと呼ばれる可能性がある。

 

日本文化とテロ

・日本人は、「社会の不条理」よりも「社会の悪」を信じたがり、悪を外科的に取り除くことで、理屈が通るという考え方を好む。

 

山本七平による「応報思想」という指摘。

 

・死刑制度が廃止されないのもまた同じ理論なのではないか。

 

・「テロリスト」を絶対悪として捉え、テロの原因を社会システムの不備や、歴史的経緯による報復行為としては見なさない傾向がある。

 

・戦前の軍部による暗殺など、ロマン主義的(既存秩序の破壊、権力者の排除によって自ずと理想的な社会が実現するという考え)に基づいたテロ行為があったという事実。

 

・欧米では、移民、難民の流入により軋轢や衝突が日常化しているが、日本は距離があることもあって心理的にも身近ではない。

 

・植民地時代から今に至るまでの歴史的知識、関心が乏しい。

 

・経済的植民地主義ともいえる、西欧中心のグローバルな経済的抑圧構造に対して無頓着、無関心でいられる。

 

※日本人が海外で起こるテロ事件に対して無関心であったり、冷淡であるという意味とは異なる。

 

・今テロと言われている行為を完全に止めさせて、テロリストと呼ばれる人々をなくすことは出来ない。

 

過激派組織のプロパガンダ映像から見えること

・過激派組織が作成した勧誘ビデオを紹介。

 

ナショナルジオグラフィックBBCのような大手のドキュメンタリー映像並みの洗練されたタッチによる映像。

 

・カナダからやってきた若者が、過去にどんな暮らしをしていたか、今どんな暮らしができるのかを語る。

 

・快適な環境の付与、良き仲間と言った、居心地の良さをアピール。

 

・活動に加わることの意義、誰もが持てる技術や知識を活用し、貢献できるという、やりがいのアピール。

 

・美しい自然環境の中での、牧歌的で、かつてはあったとされる(実際にはありえなかった)古き良き時代の生活のアピール。

 

・語り手であるカナダ人青年が、実際の戦闘で銃撃を受け、死亡した瞬間も映像に収められており、回収された遺体も映し出されるという衝撃的な側面もある。

 

・現状への不満と、「何者かになりたい」という曖昧なアイデンティティの不安、帰属意識と承認欲求の戦いとしての過激派組織への参加。

 

差別主義者はテロリストなのか、なりうるのか

・いわゆるヘイトスピーチをする人々とはテロリストなのか。以後、テロリストになりうるのか。

 

・差別主義の活動がサークル活動的なガス抜きとしての作用もあり、規制や禁止によって先鋭化する可能性が高まるのではないか。

 

・実際に差別的な言葉を投げかけられる被害者がおり、それを放置・容認すべきではない。

 

・法制化によって引き起こされる問題の大きさ。自治体単位での対応が望ましいのではないか。

 

・ヨーロッパ諸国ではヘイトスピーチは法的に処罰対象としている例がある。一方アメリカではヘイトクライムを厳罰にすることで抑止しようとしている。日本はどの道を取るのか。

 

・悪意のある問いかけがされたとき、対応によっては差別に加担することになる可能性。

 

今後の日本社会の不安要素

日本会議と言った、一部の人々(主に中高年男性で組織された団体)の考える

(あったかどうかは怪しい)古き良き日本を復権しようとする動き。それによって起こる歪みがもたらすもの。

 

自民党の強さ、したたかさに対抗できる政党の不在。 

 

・結局のところ、既存の体制へ対抗するものであるテロリストの完全な排除は不可能であり、テロリストを生む素地を一つずつ減らしていく努力が必要。

 

・テロリストと呼ぶ者も、呼ばれる者も、同じ不安の上にある者同士の衝突であり、それを認識すること、共有することが必要。

 

・自分自身のアイデンティティが不安定だと、異文化であったり他者への不寛容が生じる。それによる、多文化共生の正しさと、実現の難しさ。

 

【個人的感想】

・日本で今後テロが起こるとしたら、やはり日本人によるものではないか。

 

・日本では、イスラム国のような組織の発信する、西欧文明を敵とみなすイメージを共有しファンタジーを維持するのは難しく、ヨーロッパで起こっているような事件とは異質になると思われる。

 

・ネット、SNSで顕在化する被抑圧者の声がある一方で、被抑圧者がタコツボ化しており、政策への反映や法制化には結びつきづらいのではないか。

 

・但し、日本では、暴力行為に及ばずとも、やり方によっては、声は届くし、要求は通る。

 

・所属意識を満たすコミュニティの不足状態による不安の増幅。

 

・時が経てばある程度自然に代替わりが起きる。今のまま変わらない部分もあれば、変わる部分もあるはず。

 

 

以上。

 

真鍋氏、津田氏の言葉に対して、勝手な憶測も含んだ内容となってしまった。

同じ話を聞いて全く違う感想や意見を持つ人もいると思う。

ほとんどすべてが私の個人的な感想と言っても良い。

テロとは何か、とは、落としどころのあるテーマでもない。

また、テロを悪・不正義とするならば、

テロとは何かとは、正義とは何かでもある。

下手に「まとめ」をすると、捨象されるものも多く、

結論めいたものはないままにしておく。

 

今回は不勉強を実感したので、

せっかく自前で持っている書籍も含めて、

もう少し、本書を読み込んでおきたい。

 

来月もイベントあるそうです。

興味を持った方はぜひ。

 

サイン貰ったよ。

f:id:natsu_92:20160326130841j:plain

2016年も3月

今週は風邪をひいて、

せっかく当たった「ちはやふる」の試写会も行けず。

家でHuluとNetflixを行ったり来たり。

 

昨日(2016年3月11日)NHKBSプレミアムで

第88回アカデミー賞授賞式のダイジェストを見た。

誰が受賞するのかは既に知っていたけど。

今回はノミネートされた俳優が全部白人ということで

随分と社会問題化したが、

黒人に限らず、非白人はとにかく少ないという印象はあった。

中国系や韓国系含めて、アジア系の俳優さんはまだまだ少ない。

イ・ビョンホンがプレゼンターで出てきたのも、

バランスを取ったつもりなのかもしれない。

日本出身の俳優として、菊地凛子氏にはいろんな役で映画に出て、

アジア人女性のステレオタイプを打ち破ってもらいたい。

 

以上。