サマリタン

映画、本、毛糸もろもろ。

負け犬ですが、何か?又は、本日は卑屈也。

唐突だが、私の住む地域には子どもが多い。

ほとんど小学生以下、両親も比較的若い。

地域全体の生活ランクに大きな格差は感じないが、

学習塾や習い事に通わせている姿も多く見かけることから、

教育方面には資金を惜しまない様子である。

おかげさまで、

毎日、子どもの泣き声&悲鳴+部活の掛け声が、サウンドトラック。

  朝錬早すぎ。起こす親も大変だろうに。

毎晩、近所の夫婦喧嘩も筒抜け。

  そろそろDVの予感。子どももヤバイ叫び方してるし。

生来、団地育ちなので、こうした生活音は、

ほとんど気にならないのであるが、

直接関わるとなると話は別である。

と、言うのも、

つい先日の出来事によって、自分の趣味思考を改めて確認した。

私は子どもが苦手だ。

というか、若い母親が苦手だ。

ある日の午前中、

自転車で歩道(もちろん自転車も可)を走っていたところ、

私は、もうすぐ自宅というところで、

暑さと、頭痛で、不注意になっていた。

自転車に乗りながら寝てしまいそう、と思った。

そんな、溶け出した脳みそで自転車に乗っていたのが悪かったのか、

子どもと正面衝突しそうになってしまったのである。

と言っても、のろのろ走行だったので、怪我もなく、

「すいませんね、ごめんなさい」

と謝罪したところで、

後から来た母親が一言。

「すいません。左側を走ってくださいね」

(ちなみに子どもは無言だった)

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(以下、心の声)

悪かったなぁ。チッ ← 舌打ち

ついでに、私に躾しなくて良いよ。

確かに、ルールは大切である。

特に交通ルールは大惨事につながりかねないので、

子どもに徹底して仕込むべきである。

だが、自動車運転免許を取った最後に言われなかったかい?

「法律も守らなければなりませんが、

現実には、車社会のルールとマナーを守ることが大切です」

そして、「ルールには必ず例外がある」

ということも、きちんと教えておけよ。

自分自身がルールやマナーを守ることは出来ても、

全ての人が、いつでも、ルールを守ってくれるわけではない。

誰もが、いつも元気いっぱい、上機嫌ではない。

他人が、いつも、左側を走ってくれるとは思うなよ。

 うっかりとはいえ、右側を走っていた私が悪いのです。

 全て悪いのは私です。

 すいませんでした。

ええ、産んでませんよ、育ててませんよ。

自分のことで精一杯ですからね。

負け犬と、呼んで下さい。

だからこそ、もう一度言わせてもらおう。

私は他人の子どもが苦手だ!

見知らぬ若い母親が苦手だ!

今日の一言。

酒井順子さんの言う「負け犬」の本当の意味は、

「負けていない」人のことですよね。

人生は他人と比較するものでもなく、

また、勝負するものでもない。

よって、勝ち負けなどないのだ。